「自分が甘かった」「意志が弱かった」と。
実はその反省文こそが、次の同じ失敗を予約している。
世界で最も失敗から学ぶのがうまい産業は、まったく別の書式を使っている。
だから罰することより知ることを優先する。
条約の附属書に「調査の目的は将来の事故防止であり、罪や責任を課すことではない」と明記されている。
感情論ではなく、情報を集めるための制度設計である。
四段のどこでも「気をつける」は登場しない。
自己否定に沈む人間は記憶を封印し、同じ失敗を繰り返す。
人格への帰属は、ポカヨケの講(046)で見た通り、対策不能な結論である。
重大事故1件の背後には29の軽微な事故と300の異常がある(ハインリッヒの法則)。
未遂は損害ゼロで手に入る事故データであり、「運が良かった」で流した瞬間にデータは消える。
測れる原因に還元できない失敗論は、反省文であって設計ではない。
1976年から中立機関のNASAが運営し、パイロットや管制官がヒヤリハットを自発的に報告すると、一定の免責が与えられる。
罰される恐れを制度的に外した結果、年間数万件の報告が集まり続け、重大事故の手前にある情報が業界全体で共有されるようになった。
罰する仕組みの下では報告は消え、免責する仕組みの下では情報が集まる。
個人の振り返りでも同じで、自分を裁く書式では事実が出てこず、構造を調べる書式でだけ原因が出てくる。
人格を責めて終わる方がむしろ楽で、構造を特定して対策を実装する方がはるかに厳しい。
甘いのは反省文の側である。
人格の欄を消した瞬間から、失敗は再発防止の材料に変わる。
