そう信じて磨き続けたのに、誰にも見られないまま終わっていく商品が無数にある。
品質を疑う前に確認すべき前提が一つある。
市場で取り合われている資源は、もう商品の側にはない。
経済学者ハーバート・サイモンが1971年に指摘した通り、情報の豊かさは注意の貧困を作る。
コンテンツが増えるほど、1本あたりに配られる注意は薄くなる。
AIによる量産は、この希少の逆転を最終段階まで進めた。
見られていない商品は、市場では存在していない商品と同じ扱いを受ける。
品質が評価の対象になるのは、注意を獲得した後である。
作り手は品質の改善に逃げ込みやすい。
品質改善は自分の机で完結するが、注意の獲得は市場に出て測る必要があるからだ。
逃げた先に答えはない。
注意→信頼→販売という順序(008の適用)の第一段である。
注意だけを集めて売れば炎上商法になり、注意を集めながら信頼へ渡さなければ、換金されないまま消える。
答えは意外な場所 — 道化にある。
賢さの競争の外に、注意の獲得を職業にしてきた歴史上の先達がいる。
テレビCM全盛期は15秒で起承転結を作れたが、YouTube広告は開始5秒でスキップ可能になったため、制作の重心は「何を伝えるか」から「最初の数秒で指を止められるか」へ移った。
冒頭に顔のアップを置く、問いを投げる、違和感のある画を見せる。
これは制作者の流行ではなく、注意が最も希少な資源になったことへの適応である。
広告市場では、注意はすでに秒単位で値付けされている。
個人の発信も同じ市場で戦っている以上、この値付けから逃れられない。
注意は三段の第一段であって全体ではない。
信頼へ渡せない注意は換金できず、稼ぎ方を間違えた注意は、燃やした評判の分だけ赤字になる。
ただしそれは、三段の地図の入口にすぎない。
