どちらが正しいのか。
答えは、どちらも半分だけ正しい。
片方しか見ない経営は、右目か左目のどちらかを閉じて運転しているのと同じである。
高評価レビューの裏にある罪悪感、リピートの裏にある惰性。
売上グラフがきれいに伸びていても、その伸びが何に支えられているかは、グラフのどこにも書いていない。
感動的な顧客の一言は強力だが、それが市場の何割を代表するのかは、現場では分からない。
一例の熱に打たれて全体戦略を曲げるのは、現場派の典型的な事故である。
声が理由の候補を出し、数字がその規模を測る。
二つが一致した点だけが、資源を張るに値する仮説になる。
数字だけの仮説は「なぜ」を想像で埋めており、現場だけの仮説は「どれくらい」を熱量で埋めている。
埋めた部分が、そのまま外れる部分になる。
気が向いたら顧客と話す、では現場情報は途絶える。
数字の月次確認と同じ頻度で、顧客と直接話す機会を予定に固定する。
売上は好調で、レビューには「おいしい」が並ぶ。
数字と表面の声だけを見た担当者は、増産と味の強化を決めた。
だが顧客の家庭を訪ねた別の担当者は、多くの購入者が「痩せたいのに我慢できずに買っている」ことを観察した。
この本音を知っていれば、打ち手は増産一辺倒ではなく、罪悪感を減らす小袋化や置き換え商品にも広がる。
数字は「売れている」を教え、現場は「後ろめたさと共に売れている」を教えた。
両方を見た者だけが、次の一手の選択肢を全部持てる。
この講の主張は優先順位ではなく、両輪であること自体にある。
どちらを欠いても半盲であり、半盲の運転は速度を上げるほど危ない。
両方を同じ頻度で見る制度を持つ者だけが、両目で経営できる。
数字の確認頻度より少なければ、片目が閉じかけている。
