一方で、顧客と雑談していた一言から生まれた商品が当たる。
この差は偶然ではない。
どちらを「上司」として扱ったかの差である。
会議室にあるのは、すでに起きたことの記録と、そこから引いた延長線だけである。
市場が曲がった瞬間、延長線は空を切る。
顧客がどの棚の前で迷い、何と比較し、何に諦めて帰ったか。
この情報は社内のどの資料にも載っていない。
現場だけが持っている。
企画も価格も発信も、根拠を問われたときに「顧客の誰の、どの観察から来たか」を言えるかどうか。
言えない判断は、願望の投影である。
作り手の熱量と売れ行きが反比例する現象は、この始点の取り違えから生まれる。
熱量は否定しない。
ただし始点にはしない。
世界最大級の消費財企業が「消費者がボスである」を社内の合言葉にしたのは、精神論ではなく、判断の始点を固定するためだった。
当時のP&Gは技術起点の新商品が続けて不発で、業績が落ち込んでいた。
ラフリーは判断の始点を研究所から消費者の生活現場へ移し、社員に家庭訪問や買い物への同行観察をさせた。
この転換の後、同社は主力ブランドを立て直し、業績を回復させている。
世界最大級の企業が「顧客を上司にする」という単純な原理に戻ることで復活したという事実は、個人事業がこの原理を飛ばしてよい理由がどこにもないことを示している。
顧客は答えを言葉でくれる存在ではなく、観察すべき情報源である。
要望を鵜呑みにすることと、行動を観察して未充足を見抜くことは、まったく別の行為だ。
ボスの発言ではなく、ボスの行動に従う。
判断の始点を社内から顧客の現場へ移すことが、この部全体の第一歩になる。
書けなければ、その判断は延長線の上にある。
