だが少し考えると奇妙なことに気づく。
ギブを説く人たちは、なぜ例外なく商品を売っているのか。
偽善を暴きたいのではない。
そこにあるルールを正確に読みたいのである。
食事も住居も、誰かの労働の受け取りである。
だから「テイクするか否か」は論点として成立しない。
全員がテイカーである。
嫌な気をさせないテイクを大量に生産できる者が、このゲームの上位者である。
支払った側が「良い買い物をした」と感じるなら、テイクは奪取ではなく交換になる。
先に価値を渡して信頼を作り、後で気持ちよく回収する。
つまりギブは善意の発露ではなく、回収時期を遅らせた設計である。
設計であることは、悪いことではない。
商品の価値ではなく関係への義理で金が動いており、どちらかが我慢を続けることでしか維持できない。
ウィンウィンを作る能力が高ければ、商品力が平凡でも人が集まる。
関係の設計力は、商品力の不足を補う数少ない変数である。
初回相談を無料にするのは親切心ではなく、相談の中で信頼と課題情報を獲得し、後の契約で回収する設計である。
重要なのは、この設計が顧客側にとっても得になっている点だ。
顧客は無料で現状を整理でき、合わなければ買わずに帰れる。
双方に利がある設計だからこそ、この型は業界を超えて何十年も生き残っている。
設計されたギブは、偽善ではなく様式である。
回収を設計した上で先に与えることは、順序の法則(次講)に適合した、最も強い戦い方である。
打算を含むことと、価値が本物であることは両立する。
設計と割り切った瞬間、与える行為は感情論から戦略に変わる。
設計がなければ、それは戦略ではなく消耗である。
