この言葉には、様子見はタダだという前提が隠れている。
だがこのゲームの盤面をよく見ると、待機している間もコストのメーターは回り続けている。
呼吸しているだけで持ち点は減る。
これは比喩ではなく、家計簿を見れば毎月確認できる事実である。
同じ1億円でも、20代で持つのと80代で持つのとでは使用価値がまるで違う。
使える年数、挑戦に回せる割合、失敗から回復できる余地。
時間の経過そのものが、金の価値を静かに目減りさせている。
動かない選択をした瞬間から、固定費と時間価値という二重の損失が確定で発生している。
様子見とは、無料の保留ではなく、有料の待機である。
この2条件が揃ったゲームでの合理的な戦略は一つしかない。
自分の満足ラインまで、できる限り早く稼ぎ切ることである。
早く稼ぐほど、稼いだ金を長く使え、失敗しても回復の時間が残る。
「ゆっくりでいい」は美徳に聞こえるが、このゲームの構造上は、単に高い料金で同じ席に座り続けることを意味する。
全員が強制参加で、途中退場はできず、待機しているプレイヤーの持ち金からも毎ターン場代が引かれる。
こんなルールのゲームで「今回は動かないでおこう」を選び続ける人はいない。
ところが現実の資本主義では、多くの人がまさにそれをやる。
ゲーム盤の上では明らかに不合理な行動が、現実では「慎重」という名前で呼ばれているだけである。
盤面のルールは同じなのに、名前が変わると判断が狂う。
前講の通り、賭けは安全圏の中で行う。
急ぐべきは着手と検証の速度であって、賭け金の大きさではない。
大きく賭けるのは遅く、小さく試すのは速く。
この使い分けが正しい急ぎ方である。
ならば、満足ラインまで早く稼ぎ切る以外に、合理的な選択肢はない。
書けない場合、急ぐ理由も緩める理由も持たないままゲームに参加していることになる。
