だが資本主義の定義を一度でも確認すると、この言葉の意味はまったく別のものに変わる。
ルールを誤解したままゲームに参加している人が、実は大半である。
共産主義は国が全部を所有する社会である。
キューバでは警察官も屋台の売り子も月収がほぼ同じで、店も家も個人のものではない。
個人の所有が原則として存在しない。
国はむしろ小さく、一人一人に「自分で持つこと」を許可している。
これが定義のすべてであり、拝金は定義に含まれていない。
交換を滑らかにする道具として貨幣が生まれた。
つまり金は目的ではなく、交換の媒介にすぎない。
所有には現金だけでなく、資産・信用・関係・情報が含まれる。
金はそのうち最も数えやすい一形態でしかない。
創業初期の「儲かっていない」時期にも、信用と情報という所有は増えていることがある。
それを資産として数えられるかどうかが、撤退判断の精度を分ける。
金がほぼ無価値になった時期に強かったのは、現金を持つ者ではなく、物資と仕入れ先という「所有」を持つ者だった。
逆にハイパーインフレ下のジンバブエ(2008年前後)では、現金の所有はほぼ意味を失い、外貨・不動産・技能という別形態の所有だけが価値を保った。
金は所有の一形態にすぎず、形態は状況で入れ替わる。
この構造を知っている者は、金以外の勘定を常に並行して数える。
所有は交換されて初めて増える。
使わない信用、流さない情報、寝かせた現金は、次の講で見る通り、持っているだけで目減りしていく。
攻略対象を金から所有全体へ広げた瞬間、打てる手の数が変わる。
金以外の4行に何が書けるかが、現在の本当の持ち点である。
