差は発信量ではない。
議論がどちらの土俵で行われているか、である。
土俵そのものを作る技術に、この講で名前を付ける。
枠組みの提供は上流に入る。
下流では「どれを買うか」が争われるが、上流では「何で比べるか」が決まる。
比較軸を作った者は、比較される前に選ばれている。
人は枠組みを使うたびに、無意識に出所を参照する。
使われる回数が、そのまま想起の回数になる。
しかし模倣が広がるほど「どこから出たか」という原典の評判はむしろ強化される。
コピーは劣化するが、参照は蓄積する。
模倣は損失ではなく、無償の流通である。
名前は概念の取っ手であり、良い語源は説明コストを恒久的に下げる。
名前のない理論は、どれだけ優れていても運ばれない。
読みが一意であること、由来が一文で語れること、短いこと、検索で独自に立つこと。
この基準を満たした名前だけが、市場の共通言語になる資格を持つ。
競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン」、競争のない新市場を「ブルー・オーシャン」と名付けたこの本の登場以降、世界中の会議室が市場選定をこの語彙で議論するようになった。
以後20年、市場戦略の議論が行われるたびに原典が参照され続けている。
理論の中身だけなら先行研究にも類似はあったが、議論の枠組みに名前を与えたことが、著者たちを「引用される側」に固定した。
命名は、思想の所有権を市場に登記する行為である。
命名基準を満たさない造語は、覚えるコストだけを課して定着せず、むしろ信頼を削る。
名前は少数を、磨いて出す。
枠組みに名前を付けて配ることは、市場の共通言語に自分の署名を入れることである。
